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2022.01.24

【開催報告】1月21日「依存症を知ろう~ぼくが依存症になったわけ」

1月21日(金)
精神保健福祉センターさんとびわこダルク(薬物依存当事者の回復施設)さんと
「依存症を知ろう~ぼくが依存症になったわけ」を開催いたしました。

まず初めに精神保健福祉センターの後藤さんより、依存症についての基礎知識をお話いただきました。

依存症は「ダメ・ゼッタイ」?

まず依存症というとどんなイメージか?という認識への問いから、よくみるポスターを例に出し
「依存症そのものが個人意思でなんとかできるもの、なるのは意思が弱い人たちというイメージがあるが、依存症は脳の病気であり一人でどうにかできるようなものではない」ということ
それでも「ダメ。ゼッタイ」「いちどしたら破滅」というような刷り込みがあり、学校の課題で子ども達もそのようなポスターを描く(そしてそれが取り上げられる)現状の社会についてお話をいただきました。

依存症(何かに依存すること)は一種の自己治療であり、その人が抱えている苦痛からの脱却であるということ、叱って辞めることを約束させてなんとかなるものではなく人との関わりの中で回復していくこと。

人との関わりの中で「回復し続ける」こと

つづいて、依存症当事者として、現在びわこダルク(薬物依存症当事者の回復施設)の職員をされている箕輪さんから、自分が薬物を使うようになった経緯を伺いました。なんども辞める→やっぱり手を出す、を繰り返して、今びわこダルクの職員をしていること、誰かの役に立てたという自己有用感が回復に向かわせてくれたというお話をしてくださいました。
この企画の告知をする際に「元・当事者と書けばよいか」とお尋ねしたところ、「現在は薬物を使っていなくてもご自身は当事者とおっしゃいます」ということを伺いました。依存症に完治はなく、ずっと「回復しつづけている」存在であるということ、やっぱり抜け出すことはすごく大変だということ、それを箕輪さんは「(非当事者にとっては)水をずっと我慢しろと言われているみたいなもの」と表現されたのが印象的でした。

また参加者のディスカッションタイムでも色々な話が出ました。
「薬物をしたことがわかったら捕まってしまうのであれば、当事者はSOSを出しづらいのでは」という問いに、「捕まえて処罰するのではなく回復支援に全振りして結果ドラッグ使用者が減ったポルトガルの事例」が出されたり、「自分も色んなものに依存している(スマホやゲームなど)がそういうときは大抵自分に無理をしている」「どこからが依存症として線引きされるのだろう」という戸惑いにも似た実感、「近くに気になる人がいるんだけど自分は何ができるか」という質問もありました。

「SOSを出す練習」

精神保健福祉センターさんは依存症の啓発について
「ダメ・ゼッタイ」という切り口でなく、当事者のお話をもっと聞いてほしいということ。ならないに越したことはないけど、なっても回復の道がちゃんとあること。以前中学校にお話に行ったときは「SOSを出す練習をしよう」ということをされたと伺いました。近くに気になる人がいたら、まず「心配している、気にかけている」ということを伝えてほしいとおっしゃってました。

ここにとても書ききれないくらい、たいへん学びが多かったとともに、心を揺り動かされる時間でもありました。

もともとこの企画はコロナ禍が続き心身の孤立が起こりやすい状態で、孤立の病とも言われる依存症についてみんなで学ぼうという趣旨で開催したものです。ただどこかで依存症というと他人事のように感じるのもまた事実です。
そんな中、オンライン上で沢山の方が参加くださったことはわたしたちにとって勇気となりました。
「学びを通じて人とつながる」ことを目標とするコミュニティカレッジで、この企画ができたことを本当にうれしく思っています。

次回は依存症第二回、2月28日です。アルコール依存症当事者とご家族に登壇いただきます。
詳しくはこちら2月28日 依存症を知ろう②~「わたしたち」の依存症の話 参加者募集

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反省としては1時間半の予定がなんと2時間半に!参加者さんは随時抜けてくださいとお伝えしていましたが最後まで(半強制的に)お付き合いくださったびわこダルクの箕輪さん、精神保健センターの後藤さんと栗林さん、すみませんでした!